Ichiro's Malt 20years
2012.02.03.19:00
★Ichiro's Mart 20y 2nd ボトリング★
日本ではかなり人気の高いウィスキー“Ichiro's Malt”
今回入手したのは、その中でも2000年が最後の蒸留となり、2004年には設備を取り外してしまった、今は無き羽生蒸留所の
“Ichiro's Malt 20y セカンドボトリング”

イチローズモルト20年は羽生蒸留所で伝統的なスコッチウィスキーの製法を踏襲し造った貴重な原酒を、樽から少量ずつ払出し、その中からシェリー樽を中心に最低酒齢20年以上のモルト原酒を選びバッティングしました。
また、自然の状態にこだわりノンチルフィルター(冷却濾過なし)、ノンカラー(無着色)としました。
そして、20年という時の重みを十分に堪能していただくためにカスクストレングスとしました。
★イチローズモルト
かつて埼玉県羽生市に存在した、東亜酒造 羽生(はにゅう)蒸留所
1946年ウィスキー免許取得。2基の銅製ポットスチルを導入し、本格的にモルトウィスキーを製造。
ところが、東亜酒造の経営危機により羽生蒸留所は売却される事に!
しかし、売却先の企業はウイスキー事業からの撤退を決断!
羽生蒸留所のウイスキー原酒は期限付きで引き取り手が見つからなければ破棄されるという決定が下る。
オーナーの肥土氏はウイスキー原酒を引き取ってくれる企業を探しつづけ、ついには福島県の笹の川酒造からの援助を取り付けた。
笹の川酒造には貯蔵庫の提供を受け、原酒の購入は親戚から資金の支援を受けた。
肥土氏は技術指導者として笹の川酒造に通い、2005年春には、笹の川酒造にあるウイスキーを「イチローズ・モルト」として商品化した。
2004年9月、東亜酒造の創業者の孫、肥土 伊知郎(あくと いちろう)氏により埼玉県秩父市にベンチャーウイスキー社を設立
2007年11月、ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所が完成“秩父蒸留所”としてウィスキー製造が再開。
2011年10月11日“イチローズモルト 秩父ザ・ファースト”が限定販売される。
イチローズモルトは2008年2月に開催されたウイスキーマガジン社(スコットランド)のコンクールにおいて、国内6部門の中の2部門で日本一の栄冠に輝いた。
日本ではかなり人気の高いウィスキー“Ichiro's Malt”
今回入手したのは、その中でも2000年が最後の蒸留となり、2004年には設備を取り外してしまった、今は無き羽生蒸留所の
“Ichiro's Malt 20y セカンドボトリング”

イチローズモルト20年は羽生蒸留所で伝統的なスコッチウィスキーの製法を踏襲し造った貴重な原酒を、樽から少量ずつ払出し、その中からシェリー樽を中心に最低酒齢20年以上のモルト原酒を選びバッティングしました。
また、自然の状態にこだわりノンチルフィルター(冷却濾過なし)、ノンカラー(無着色)としました。
そして、20年という時の重みを十分に堪能していただくためにカスクストレングスとしました。
★イチローズモルト
かつて埼玉県羽生市に存在した、東亜酒造 羽生(はにゅう)蒸留所
1946年ウィスキー免許取得。2基の銅製ポットスチルを導入し、本格的にモルトウィスキーを製造。
ところが、東亜酒造の経営危機により羽生蒸留所は売却される事に!
しかし、売却先の企業はウイスキー事業からの撤退を決断!
羽生蒸留所のウイスキー原酒は期限付きで引き取り手が見つからなければ破棄されるという決定が下る。
オーナーの肥土氏はウイスキー原酒を引き取ってくれる企業を探しつづけ、ついには福島県の笹の川酒造からの援助を取り付けた。
笹の川酒造には貯蔵庫の提供を受け、原酒の購入は親戚から資金の支援を受けた。
肥土氏は技術指導者として笹の川酒造に通い、2005年春には、笹の川酒造にあるウイスキーを「イチローズ・モルト」として商品化した。
2004年9月、東亜酒造の創業者の孫、肥土 伊知郎(あくと いちろう)氏により埼玉県秩父市にベンチャーウイスキー社を設立
2007年11月、ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所が完成“秩父蒸留所”としてウィスキー製造が再開。
2011年10月11日“イチローズモルト 秩父ザ・ファースト”が限定販売される。
イチローズモルトは2008年2月に開催されたウイスキーマガジン社(スコットランド)のコンクールにおいて、国内6部門の中の2部門で日本一の栄冠に輝いた。
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